八木 第53稿

サウナでいうと健康ランドが好きだった。
健康ランドに行くのが、我が家のご褒美だった。
月に一回ぐらい家族で行った。
今考えたら家族四人で行くとなんやかんやで一万以上する。
家族も「今日は健康ランドだ」と気合いを入れて行っていたと思う。
あの時、サウナが珍しかった。
そして塩が置いてあるのも贅沢だなあと思った。
兄とどっちが長く入れるか競争した。
朦朧として出た記憶がある。
映画のスペースやゲームコーナーも好きだった。
帰りには母親が体が軽くなっだ、肌ツルツルなったと毎回行ってたのを思い出す。
その健康ランドに高校の時、友達と行った。
また違って見えた。
小学生のころが懐かしかったのを思い出す。
その高校の時も今となれば懐かしい。
高校の時に、教室で今のこの瞬間めっちゃ懐かしくなるんやろなあと思ったのを思い出す。
ことあるごとにその瞬間を思い出す。
高校の時、結構人生進んだと思ったけどまだあれが序盤だったんだと思う。
健康ランド、考えたらすごい空間である。
健康の国。
まさか、あの時はきんに君と健康☆ボーイズというユニットを組むとは夢にも思わなかった。
その、きんにくんはサウナにほとんど入らないから不思議である。
サウナの後に珈琲牛乳、それが嫌ならプロテインを飲めばいいのに。

公平

昔、健康ランドでバイトをした事がある。
バイトといっても受付とか掃除ではなく
大衆演劇一座の役者としてだ。
役者の心得もなかったのに
面白そうだからと安請け合いしてしまい
後悔したのを覚えている。

大衆演劇は普通の演劇とは違い
台本がなく座長が口でセリフを割り当てていく。
私のセリフは
「天ぷらうどんの天ぷら抜き」
というボケのセリフだった。
20年も前の話だが未だに憶えている。
ある意味私はセリフ憶えがいい。
レギュラーの役者が数名いない期間
たしか3日間ぐらいの補充要員として行ったと思う。
狭い2畳ぐらいの部屋で泊まり込みだった。
(今考えたらあれは
バスの運転手や添乗員用の部屋だったんだろうな。)
2日目は役者の人数がより少なかっため
第2部の歌謡ショーにも出る事になった。
演歌を全然知らなかったので爆風スランプの
「大きな玉ねぎの下で」を歌った。
カラオケボックスのような歌詞が出る画面もないので
歌詞を覚えるのに苦労した記憶がある。
生まれて初めてお客さんの前で歌を歌った。
緊張しすぎて、身振り手振りをする事なく、微動だにせぬまま歌った。
公演後、座長から缶コーヒーをもらい
「おじぞうさんのようだった」と言われた。
3日目は歌はなかった。

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