八木 第52稿

スーパー銭湯、ほっとする。
考えたら人はいろんな、しがらみで生きている。
お金持ちの人、会社の偉い人、なかなか会社で居場所のない人、高級車にのってる人
チャリの人、オシャレな人、ポケットがいっぱい付いてる服を着てる人。
いろんな人がいるけど、銭湯に入れば裸である。
己の肉体だけである。
湯船で名刺交換はできない。
あの中だけはある意味平等である。
僕は金持ちだからと、優先的にジェットが使えるわけではない。
考えたら何も持たずに生まれて、何も持たずこの世を去る。
全ては、周りから助けられている。そして借りている。
自分の髭剃りかもしれないが、誰かが発明してくれている。
ブラウンさんか、ジレッタさんか、わからないが発明してくれている。
スーパー銭湯に行けばそんなシンプルな気持ちになる。
ただ入場料がいる。
中にいる人はそれを払ったという共通項はある。
入場料を稼いで珈琲牛乳を飲むお金があればあとは平等である。
そんな当たり前のことだが、しがらみで見えなくなってしまう。
そしてまたスーパー銭湯に行く。
筋肉だけは置いていけないのでつけて行くのである。

公平

いまや当たり前になっているが
サウナでテレビを観れるようにしようと
言い出した天才に今更ながら感謝したい。

シャワーの使い方のヘタな後ろのおやじに
おい!と思うときはあるが
サウナと水風呂の前では、どうでも良くなる。

サウナで勝手に勝負を仕掛けて勝手に勝つ。
それはとても爽快だ。
お尻に敷くマットを3枚ぐらい使って
腹筋をしだす迷惑な客には、絶対負けたくないと
勝手に勝負を挑むが
そういう時は、意気込みすぎて大抵私が先に退室してしまう。
学校に温泉がだめならフィンランド式サウナでもいい。
サウナからでたらそのままプールに飛び込めるように
プールサイドにサウナを設置しようか。
プールから出て、冷たい至福の珈琲牛乳を飲んでみたい。




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