八木 第19稿

何かを決心する時に片手にある珈琲、確かに公平がいう通りだ。
決心、それは大前提として、向上するためにするものといえる。
向上という枠を外して考えてみよう。
今年は月に三回は遅刻するように決心しよう。
誰かにケンカを売ってるとしか思えない。
なぜ不自然になるか。
決心しなくても遅刻はできるからである。
つまり向上することは大変で逆は楽となる。
果たしてそうなのだろうか。
遅刻も本気にするとなれば大変かもしれない。
間に合っているのに、だらだら暇をつぶす。
真冬とかは大変である。
遅刻しないとだめなのだから。
遅刻をしないとと思えば思うほど早く用意してしまっいる。
遅刻を意識することで遅刻が急に難しくなったのだ。
今まであれだけ簡単だったのに、無意識でもできたのに、意識をしだすと難しくなるのである。
雑談、するなと怒られた雑談、しろと言われたら難しい、何をしゃべっていいかわからなくなる、意識しだすと難しいのである。
ラクガキをしろ、あれだけするなと言われていたラクガキ、しろと言われたら何を描けばいいのとなる。
何事も意識をしだした瞬間から難しくなる。
ということは意識するだけでうまくなるということでもある。
珈琲を片手に決断、向上という枠を外して決意したいなと思う。

公平

寝る前に珈琲を飲んでしまう事がある。
それこそ無意識に。
当然眠れない。
ただ一生懸命眠らなくても
私は目覚めがいい方なので次の日の事はあまり気にならない。
そんな時、最近はストレッチをしている。
柔らかくなった先に何があるわけではないが
ただストレッチをするのである。
余計目は冴えて睡眠からは遠のく。
たいして変化のない明日の予定なんかを考えたりする。
明日誰かにあった時、あんな話をしようこんな話をしようとか考える。
面白エピソードトークなんかを考えてみるのだが
なかなか思い浮かばない。
夜は更け、身体は柔らかくなる。




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