サバンナ八木 動機、思い、日常

文章を書いている時の動機、これっていろいろあると思う。
夏休みの宿題ということもあるだろう。
会議に出す文章を書いている人もいる。
あとは思いを伝えたい、広めたいという人もいる。

それで考えるとこの今書いている文章はいったい何にあたるのか。
考えてみると交換日記に近いかもしれない。小学校の時に流行った交換日記。
一回もやったことはなかった。

公平と交換日記をしているという感じに近い。
だから書いていてなんの身にもならないことを書いてるなと思う。
ほぼ毎日ぐらいつるんでいて、それぞれ生活パターンがかわり
8年ぐらい間は空いたけどまた前に近いような状態になる。

そう考えるとメールは本当に便利である。
毎日一緒にいすぎて喋ることなくなってたこともあったな。




公平

世の中は、本当に便利になった。
何処に居ても仕事が出来る。
知らない人の話も拡散されて拾える。

例えば、こないだTVでやっていたシン・ゴジラ。
この時代のSNSなどのシステムをうまく利用した作品だと
世の中的に皆、そろいもそろってめちゃめちゃ評価している。

余白の部分をそれぞれが思い想いに呟き
それをどこの誰かも知らない人が見る。共感したり、影響を与えたりする。
そして広がる。

でもあえて言うなら
それはその今の世の中のシステムを利用する事に気付いたことがすごいというか
伏線の張り方、余白の残し方が上手いというだけになっていないか?
まぁそれで十分といえば十分だけど。

でもあえて私は言いたい。

あれセコくないか?

確かに、とても面白かったけど、
エヴァンゲリオンにせよ、あーゆうオチ等はお任せというか
2次創作の猶予与えましたよ的なのって
犯人を言わない、推理小説みたいで
私はセコいと思う。

いや、解ってる。解っている。
そこがいいんでしょ?
答えを言った途端「なーんや」って言うでしょ?みんな。
だから答えを言わないそのやり方がすごい!っていうんでしょ?
推理合戦が好きな人にとってみれば、そら面白いでしょうよ。
探偵気分なんだから。

でも私は、そこをふまえた上で、答えをちゃんと用意しといてもらいたい。
めちゃめちゃな答えでも、私はその方が、いさぎ良くて好きだ。

今のこのインターネット社会には
監督よりもすごい答えを出してくる奴がいるから
それを正解としようよみたいな感じ。
この手法新しいでしょ?みたいなのが、要するにあまり好きじゃないのだ。

言い出したら、それが新しいというのなら
1番初めにそれをやったのは、藤子不二雄先生だと私は言いたい。
庵野監督が初めて!みたいにみんなは言うけど。
(もちろん庵野監督が言ってるわけじゃない)

藤子先生はまだインターネットが普及していない時代に
もうこの手法を使ったんじゃないのか説だ。

皆さんはドラえもんの最終回を知っているだろうか?
何パターンかあるのだけれど私が好きなやつがある。

これ藤子不二雄が考えたんじゃないらしい。
藤子先生が最終回を作らなかったのは
こんな話を作るすごいやつが
後世に出てくることがわかっていたからだと思う。

そしてこんな風な形で世の中に伝わることが
解っていたんじゃないのか?と思う。

これに関しては、ネットというシステムが出来る前に
予言のごとく後世に託したことがすごいと思ってる。

随分偏ったことをつらつら書いたが
結局何が言いたいのかといえば
シン・ゴジラは尻尾の上で
こんな私でも踊らしてくれる
すごくいい奴であり面白い作品だ。