サバンナ八木 ディオは猫の家にもなっていた。

実家から大学まで原付で通っていた。
京都の南の方から衣笠まで1時間15分かかった。
往復でしっかりガソリンが空になった。
その原付はホンダのディオである。
そしてその原付で大阪に行き、一人暮らしを始めた。
そっから移動のほとんどがディオになった。
気がつけばメーターが四回転して地球一周ぐらい走っていた。
ディオの丈夫さに驚くしかない。
ヤンキーにシートの綿を全て抜かれたこともあった。
バックミラーが抜かれチュパチャップスがささっていたこともあった。
番組のロケではバケツ一杯のドレッシングをかけられたこともあった。
それでもディオは大丈夫だった。
しかし微妙にいたんでくる場所も出てくる。
メットインの鍵が壊れた。
手動で誰でもあけれるようになった。
当時劇場の近くに住んでいた僕のマネージャーからのお知らせをメットインに入れて貰うことにした。
吉本からくるお知らせの全てを誰でもあけれるメットインから取り出して確認していた。
そんなディオ、まだ実家にある。
実家で余生を送っているのである。
たまには乗らないといけないなあ。




公平

27ぐらいで中型バイクの免許を取った。
京都の教習所に通った。
受付の女の子が私の事をたまたま知っており
まあまあ仲良くなった。 何回かデートをした。
ただ私が卒検4回落ちたぐらいから
なんとなく疎遠になった。

一生受からないんじゃないかという心配や
恥ずかしいやらで、まっすぐ立ててなかったと思う。

ちなみに車の免許は石川県の七尾の合宿免許で取った。
大学に入る前だ。
弟とその友達2人と私の4名で行った。

私は「見きわめ」という中間テストで落ちたために
週1回しかない卒検を受けるタイミングを逃してしまい
1週遅れで受ける羽目になった。

結果弟が先に帰った。
合宿所には、弟の友達1人と私が残された。
居残り期間に
教習所の受付のお姉さんとボウリングに行った。
記憶はうっすらしかないが、写真が残っている。
まあまあ楽しそうにしている写真だ。
居残り組のくせに。

その時も一生大阪に帰れないんじゃないかと思った。
不安でめったにしないのに
友達の辻田に電話したのを覚えている。
「ハンクラがどうしても出来ない」と相談したと思う。