ボウリング、ボウリング場のあの雰囲気が好きだ。
ボウリングのレーンとは逆側にあるゲームコーナーが好きなのだ。
ボウリング場とは言ってるけどゲームコーナーの方がメインやんというぐらい
充実しているぐらいが理想だ。
今なかなかその感じのボウリング場がなかったりする。
ゲームコーナーがプリクラとUFOキャチャーに占領されている。
バリバリのシューティングゲーム、勝てばアイドルそっくりの女の子が脱いで行く麻雀ゲームが置いていない。
そしてパンチの強さを測るパンチングマシンもない。
あのパンチングマシンがある意味力の証明であった。
あと、お相撲さんと腕づもうするゲーム、両手を使うと反則だ。
巫女さんが運んでくる、おみくじも好きだったなあ。
あの時代のゲームはある意味バラエティにとんでいたなあ。
そして自己責任だった。
怪我をしないように遊ぶ、その意識が今より高かったように思う。
考えれば、小さい飴や大きい飴がある釣り飴、赤だと100円、黄色だと50円、青だと30円のお菓子が貰えるガムもあったなあ。
小学生の時から鍛えられていたんだと思う。
考えてみれば僕たちの時がゲームコーナーの黄金期だっ方もしれない。
駄菓子はそのちょっと前かな。
ボウリング場、ゲームセンター、駄菓子屋、ある意味社会の縮図だった。
20円で珈琲のチューチューあったなあ。
サイダー、コーラ、グレープ、ほんのたまに珈琲。
あの珈琲、いい味してたなあ。
公平
小学生の頃、となり町に宇野商店という駄菓子屋があった。
となり町の小学校の近所にあったその駄菓子屋は
私達の小学校の生徒にもめちゃめちゃ人気があった。
子供の脚で歩けば30分ぐらいはかかる店だ。
しかも道中「首つり池」という怪しげな名前をつけられた池を通らなければならない。
でもみんなわざわざお菓子をそこまで買いに行っていた。
そんな宇野商店には色々な噂があった。
店主がベンツに乗っている。
店のおばちゃんは若い頃陸上部でめっちゃ脚速い。
くじ引きはあたりがない。
プラモには部品がない。など
ある事ない事、残酷な小学生がつくりそうなうわさばかり。
もちろんみんなが本気でそんな事を信じていたわけではない。
当時4、5年生ぐらいだった私はその愛するべき宇野商店の
噂をまとめて歌を作った。
われながらの出来だった。生まれて初めての作曲である。
そして歌は大ヒット。(もちろん小学校内で)
瞬く間にみんなが口づさみ出した。
思えばあの頃が私のピークだったかもしれない。
しかもこれには後日談がある。
私が20歳ぐらいの時、
下校途中の小学生とすれ違った際、私は確かに耳にした。
なんとその小学生はあの宇野商店の歌を口ずさんでいたのだ。
しかも少しアレンジされた状態で。
歌い継がれていたのである。
世が世なら、私は「茨木のTK」って呼ばれていたかもしれない。
っていうか音楽の教科書に載っていたりする?宇野商店の歌?
高校の時は、同級生の安達くんの実家が営む安達造園の歌を作ったが
ぜんぜん流行らなかった。

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