昔の人を想像する。
まだ電気がない時代、火をおこして炊いたり風呂を沸かしたりしていた。
今から考えると不便な世の中である。
でもその時はそれが普通で不便とは思わなかっただろう。
いや、ちょっとだけ不便だと思い、改良され便利な世の中になっていった。
そう考えると今不便なことが改良されることになる。
今不便なこと。
知らなくてもいいことまで知ってしまう不便さを感じる。
ある意味便利すぎて不便なのだ。
そう考えると適正な便利さというのがあるように思う。
便利な世の中になり運動不足になりジムができた。
今度は知りすぎることに対しての改善が何かないかなと思う。

公平

ネットによって普段人に見せない汚い部分や
醜い部分をさらけ出せるようになった。
逆を返せば、簡単に人の心が覗けてしまう。
結果「むき出しの世の中」になってしまった。
道具は、みるみるうちに進化してしまったけども
使う人間の大半は、進化する事なく使ってしまっている。
ネットの中の情報を信用しすぎて
目の前の私の言葉が届かない事も
しばしばある。

発信する側は「言葉」が人を殺してしまえるほどの凶器にも
なりえる物だと認識すべきだ。
そして受ける側も、免疫を付けるべきだ。
いずれにせよ、そこには「想像力」が必要になってくる。
今ないのであれば、想像力を養うべきだ。
想像力のトレーニング
人と会うことなのか、芸術に触れることなのか
美山に来て森の中で土や水に触れる事なのか。
方法は様々だ。

演芸を見る事もそのひとつだ。
例えばギャグ1つとってもそこには
もう、大変な努力と苦労と葛藤のドラマがある。
ギャグを生み出した男を少し知り
想像するだけで、受ける印象はかなり違う。

私なんかは、そんな男が繰り出す、
大変なギャグを見て笑っている奴がいたら
「笑うとは何事だ!」
と言ってやりたくなるほどだ。

そいうわけでご覧ください。
途中はっきり「刺さった」と言ってはります。