五十円の缶コーヒー、めっちゃ安いなあ。
四十円の缶コーヒーを箱買いしたことがある。
微糖コーヒーなのだが、一口飲んでこれは微糖でない、ただ薄いだけなのだと気づいた。
ただ時すでに遅し、この珈琲をあと一箱飲まないといけないのだ。

自動販売機でいうと、高校の前の自動販売機にプルプという、つぶつぶの入ったジュースがブームになった。
プルプを飲んでいるのを見てプルプを買う、すぐに売り切れた。
補充され、朝にまたみんな買う、そしてまた売り切れる。
これが繰り返され、ある日プルプは二つになっていた。
そして三つ。
スパイラルが入り、上の段が全てプルプになった。
一度ついた勢いは止まらない。
下の段もプルプになった、イコール自動販売機全てがプルプになったのだ。
プルプはとなりの自動販売機にまで進出しだした。
またたくまにとなりの自動販売機の上段を制した。
誰もが下段までいくだろう、そう思っていた。
世の中はバブルだった。
高校生ながらにニュースを見たりして世の中景気がいいんだと感じていた。
そしてバブルははじけた、それと同じプルプを呑む人がいなくなった。
売り切れというランプが点滅しない。
いつでも飲めるとなると欲しくなくなったのだ。
プルプの自動販売機はまた通常に戻った。
そしてプルプが完全に姿を消した。
考えてみれば高校時代まったく自動販売機でコーヒーを買わなかったなあ。
あの小さいサイズを買うのが信じられなかった。
僕たちはバブルを経験して大人になり小さいサイズの珈琲を飲むようになった。

公平

小学生の頃、お茶や水をペットボトルで買うという概念がなかった。
それこそ「軽井沢の空気の缶」みたいなものと同等に
よほどの金持ちか変わった人が買うものだと思っていた。
一方でこんなものが出るということは
これは、水が汚染されて、空気がよごれ
地球終焉のはじまりなんじゃないか?と真剣に心配した。
そんな純粋だった気持ちはすっかり忘れ
今では普通にペットボトルのお茶乱飲している自分に驚く。
缶珈琲の大きさにしてもそうだ。
なんで、長細いロング缶があるのに
こんな小さい缶珈琲を買う人がいるのだろうか?と不思議に思っていた。
「小さい=味が凝縮している」と考えるような頭が私にはなかった。
「喉が渇いているなら大きい他の飲み物を買うし
珈琲を飲む人は少しでいい。」
と自分なりの結論を出したのは最近だ。
高校の時、同級生の中野くんは
休憩時間にメロンソーダーのLサイズばっかりを飲んでいた。
蛍光の鮮やかな緑の液体はとても身体には悪そうな色だった。
結果「メロソ大」というあだ名が付けられていた。
ちなみにその頃、私は「ピザ」と呼ばれていた。
魅力ある美味しい奴というわけではなく
顔がニキビと油でテカテカしていたからだ。
その他周りの友達は「しゃもじ」「だいこんや」「にせガリベン」…。
もしあだ名の名簿があったとするならば
私はひどいグループにいたと思う。





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